ゴルフの歴史
ゴルフ発祥の地については諸説様々で、主として英国のスコットランド説とオランダ説の二説に分かれますが、はっきりとした結論は未だに出ていません。 しかし、ゴルフにまつわる文献は圧倒的にスコットランドの方に多く残っています。
それらによるとゴルフは14世紀頃から行なわれていたようで、羊飼いたちが手に持った棒でウサギの巣穴に小石を打ち込んで遊んだのがはじまりと言われています。 その後、小石が木の根元を丸く削ったボールに変わり、次に皮袋に鳥の羽を詰め込んだフェザー・ボールに変わりました。
そして1943年に登場したのが樹脂を乾燥させたゴムのボールガッタバーチャ・ボールです。 このゴム製ボールはツルツルでほとんど飛ばなかったそうですが、繰り返し使用し表面に細かい傷が増えるにつれ次第に飛ぶようになり、 これが今のボール、ディンプルの原型になったということです。
また初期のゴルフクラブはヒッコリーというしなやかで強靱な樹木から作られました。 その後、ヘッドにパーシモン(柿の木)とゴムのボールに一番マッチする軟鉄が採用されるようになりました。
このように19世紀後半からゴルフは急激に変化を遂げていきました。 全英オープンは1860年に第1回大会が開催されていますが、伝説上の有名なプロ、Thomas Morris(トム・モリス)親子らが活躍したのもこの時期にあたります。
この後、世界のゴルフのメッカとされる「St Andrews(セント・アンドリュース)」や「Turnberry(ターンベリー)」などの有名なコースが スコットランドに造成されていきます。各コースとも造成というよりは、北海から吹きつける想像を絶する風雨によってつくられたアンジュレーションを そのまま活かし、必要な部分に芝を張って行くという作り方でした。
コースもちょっとした風雨によって変形するため、グリーンキーパーは大忙しだったと当時の文献に書き留められています。 ある日、地元のゴルフ愛好家がコースの原型を求めて測量を行なったところ、どう考えても人智の及ばない造形が現れ、 彼は思わず天を仰いで「God's Created Links!(神の作り給いしリンクス!)」と叫んだそうです。
これらのリンクスは現在も沢山のゴルファーに維持され、全英オープンの象徴的な存在となっています。 自信と誇りを示す象徴として、彼らは全英オープンを「British Open」とは呼ばず「The Open」と呼びます。 世界で最も権威のある大会は全英オープンのみであると誇示しているのです。
世界のゴルフルールを決めているのも、St Andrewsのメンバーによって構成されるロイヤル・アンド・エンシェント(R&A)です。 それもその筈、1754年に「13ヵ条」で正式にルールを制定したのがR&Aだと言われているからです。 その後、新しい事態が発生する度にルールが加えられ、現在でも新しいルールや改定部分があるとR&Aから全世界に通達されます。 我が国ではR&Aから日本ゴルフ協会を通して全国の連盟に伝えられています。
13ヵ条からスタートしたルールも今では膨大なものです。ルールブックを1冊読む事も大変な程。 ですがその根底にあるものは「プレーを自分に有利に解釈していけない」「いかなる事態が起こってもボールはあるがままの状態でプレーしなければならない」 この2条に尽きると言われています。
余談ですがルールブックでは、日本のほとんどのアマチュアゴルファーが経験している6インチプレース(自分が打ったボールが障害物や地形の問題などで 打ちにくい場所に落ちた場合に、6inch(15.24㎝)以内であれば自由に動かしていいルールのこと)なるものは、ありません。 これは商業主義に徹した経営側が作った便宜上のローカル・ルールなのです。
スコットランドで誕生したとされるゴルフは、1888年にアメリカへ上陸すると瞬く間に全米へと広まりました。
ゴルフギアも次々に開発され独自の発展を遂げていきます。ゴルフ場用の土地に関してスコットランドと全く条件が異なるため、
アメリカのゴルフコースは次第に公園のように造形美を追求されるようになっていきます。
現在ではアメリカがゴルフの本家のように思われていますが、英国人に言わせれば
「アメリカのゴルフ場には、どこにも神のつくり給いしコース(リンクスコース)は存在しない」となるのです。
しかし20世紀初め頃、生涯アマチュアゴルファーを貫きながらも四大大会をたった1年間で総なめにした球聖"ボビー・ジョーンズ"の登場によって アメリカのゴルフは世界の市民権を獲得することになりました。
その後もジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーの活躍でアメリカのゴルフ界は大躍進を果たします。 スーパースターひとりの出現で状況は一変し、異常ともいえるブームを生み出すのです。 近年ではタイガー・ウッズがそれを物語っています。
日本では1901年に外国人の手によって神戸の六甲山に4ホールのゴルフ場が作られた事が起源とされています。 1914年駒沢に東京クラブが設立されますが、18ホールを備えた正式なコースとして認められたのは1922年に誕生した 程ヶ谷CC(神奈川)となっています。
日本でゴルフが盛んになったのは戦後の事です。1957年にカナダカップ(現ワールドカップ)が 日本の霞ヶ関CC(埼玉)で開催され、中村寅吉・小野光一のペアが団体優勝。 個人戦では中村寅吉がアメリカの強豪Sam Snead(サム・スニード)を抑えて優勝したのです。 この模様がテレビで放映され、日本人の多くがゴルフの面白さに熱狂し、第一次ゴルフブームが巻き起こります。
9年後に再びカナダカップが読売CC(東京)で行なわれ、アメリカからはジャック・ニクラウス、 アーノルド・パーマーが。南アフリカからはゲーリー・プレーヤーが出場。 世界の3大スーパースターの競演で、日本に第二次ゴルフブームが訪れます。日本列島は北から南までゴルフ場の建設が急速に進んでいきました。
日本での公式競技は1926年の「日本プロ」が最初で、翌年「日本オープン」がスタート。 しばらくして31年には「関東プロ」「関西プロ」が同時にスタートします。 そして戦後になると中村寅吉、小野光一をはじめ林由郎、橘田規らの活躍を経て、青木功、尾崎将司の時代を迎え 日本でも本格的なゴルフ時代が到来することになります。
その後も民間ゴルフトーナメントは増え続け、70~75年にかけて「東海クラシック」「フジサンケイクラシック」「よみうりオープン」 「ダンロップフェニックストーナメント」など、現在まで続くゴルフトーナメントが軒並みスタートしました。 しかしながら、この間にも長い歴史を持ちながらバブル崩壊の影響で撤退を余儀なくされたゴルフトーナメントがあることも事実で、 ここ10年を振り返っても約半数のゴルフトーナメントが入れ替わっています。
昨今では、2019年10月に世界最高峰のPGA TOURトーナメント、ZOZO CHAMPIONSHIPが習志野CC(千葉)で行われました。 日本からも松山英樹、石川遼、今平周吾らが出場。各国から名だたるプレイヤーが出場する中、 松山英樹がタイガー・ウッズと3打差で惜しくも2位という成績をおさめた。 若かりし頃のタイガーの偉業をリアルタイムで目の当たりにしていた世代は勿論の事、若い世代にも影響を与えた事は言うまでもない。
男子ゴルフばかりの話になってしまいましたが、ここ10年で勢いのある女子ゴルフの歴史も遡ってみよう。
1920年(大正9年)に男子プロが誕生しましたが、女子プロが世に出るのはそれから40年以上後となりました。 ゴルフが日本伝わって約半世紀、ゴルフプロは男性の職業でした。ですが、女性がゴルフに触れていなかった訳ではありません。 国内初のゴルフクラブ「神戸ゴルフ倶楽部」の会員家族の女性は趣味でゴルフに興じ、1905年(明治38年)には婦人の競技大会が開催されます。
1961年“女子プロの卵”28人が集まり、「全日本ゴルフ場女子従業員競技会」が開催されます。 その後女子プロが活躍するようになりますが、最も活躍した選手が樋口久子でしょう。 樋口は、1968年(昭和43年)の第一回日本女子プロゴルフ選手権大会を皮切りに、多くの大会で勝利を収めます。 そして佐々木マサ子とアメリカ女子ゴルフツアーに参戦し、8年目の1977年(昭和52年)、全米女子プロゴルフ選手権を制しました。 更に、アメリカで学んだゴルフのテクニックや協会運営のノウハウも樋口たちが日本に持ち帰ったのです。
さらに女子ゴルフ界を盛り上げたのが岡本綾子です。日本初の賞金女王となった1981年(昭和56年)だけで8勝を挙げ、 日本女子ゴルフツアーで44勝を挙げます。 そして、日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても有名です。 欧米ゴルフツアーでは通算18勝し、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王の座も獲得するという快挙を成し遂げ、アメリカのゴルフ史にも名を刻みました。
この2人が活性化させた女子ゴルフ界は、さらなる進化を遂げます。 大学生や婦人が中心だったプレイヤー層に、ジュニアゴルファーも混じってきたのです。 1988年(昭和63年)には正式にレッスン部委員会を設立し、インストラクター資格認定制度が発足しました。
2000年(平成12年)の日本女子アマチュアゴルフ選手権では、紫垣綾花と古閑美保の女子高校生同士が対決。 宮里藍や横峯さくら、諸見里しのぶといった「宮里世代」と呼ばれた世代の選手達が海外ゴルフツアーでも活躍します。
そして「黄金世代」と呼ばれる女子プロゴルファーの時代の始まりです。 2016年開催の日本女子オープンで公式戦最年少優勝を果たした畑岡奈紗を筆頭に、記憶に新しい2019年、渋野日向子の全英女子オープン優勝。 さらには原英莉花、勝みなみ、河本結、新垣比菜、小祝さくら、大里桃子、高橋彩華と名前を挙げるとキリがない程ライバルに恵まれた いずれも1998~99年生まれの選手達です。2019年ツアーはこの「黄金世代」から6名が優勝を果たしています。
更にひとつ下の世代(1999年度生まれ)には、2019年センチュリー21ゴルフトーナメント優勝の稲見萌寧がいます。 また、2019年ニトリレディスゴルフトーナメントで アマチュアながら単独4位になった安田祐香(18) や、 2019年の日本ジュニア&日本女子アマ2冠の吉田優利、アマ日本代表で活躍した古江彩佳、西村優菜、米ツアー参戦中の山口すず夏など 女子ゴルフで逸材のそろう2000年度生まれの選手を「プラチナ世代」と呼ばれています。
長いゴルフの歴史を早足で遡ってみましたがいかがでしたか? 私自身知らない事もあり、とても楽しく調べられました。 ルールやマナーは勿論ですが、歴史的背景まで理解してからプレーすることで、また違ったゴルフの楽しさを感じることができそうです。